スケート歴を活かして自分流を確立するまで!

更新日:4月15日




橋爪さんがスケートと出会ったのは6歳の時。お父様の仕事の都合でアメリカに住んでいて、スケートリンクを貸し切って行われたクラスメイトの誕生日会がきっかけ。

その初滑りがとても楽しく、スケートを習いたいとお母様に頼み習い始めた、橋爪さんのアスリート・ストーリー。



ゲストプロフィール

名前:橋爪峻也(はしづめ たかや)

現在の職業:SEMスペシャリスト

競技、歴:フィギアスケート シングル 15年






『スケートとの出会い』


最初は選手になりたいというより、楽しいので無我夢中に滑っていた。クラス別になっていたが、飛び級をして、それがまた楽しくのめり込んでいったという。

スケートを好きになった大きなポイントで、楽しい時期だったと振り返る。


その後少し飽きが出てきた頃、お母様がロシア出身でアルベールビルオリンピックペア銀メダルを獲得したエレーナ・べチケ先生にコーチを依頼してくれた。

個人レッスンは厳しかったが、フリーレッグをしっかり伸ばす等大切な基礎を叩き込んでくれた。

橋爪さんのスケート選手としての始まりだった。

選手生活を最後まで全力で支えてくれたというお母様の英断も大きい。




9歳の頃帰国し、日本とアメリカとの練習事情のギャップに戸惑う。

アメリカでは、例えば30分の練習時には20分スケーティング等の基礎練習しっかり行ってからジャンプに移る。しかし、日本では多くの時間がジャンプに費やされていた。

一般滑走でトリプル跳んでいる選手がいてびっくり。アメリカだと考えられないことであった。

その中でも、日本で最初に師事した門奈裕子先生の元、わかりやすく軸を体感させてくれる指導で、中学1年生の頃には、トリプルジャンプを跳べるようになっていた。

門奈先生の指導には、安心感と信頼感があったという。

ノービス時代の目標は、全日本ノービスでいい成績を取りたい。がむしゃらに頑張った。

当時は、上手な選手を見て、自分も同じようになりたいという思いが、モチベーションとなっていた。

ジュニアに上がってからの目標は、強化選手になりたいという目標をたてた。

朝4時半に起きて、6~7時半まで練習して学校。授業は6限まで受けそこからまたスケートして夜10時に寝る生活で毎日クタクタ。

お母様も早朝送ってくれて、その後スケートの為に仕事をして支えてくれた。

そして高校3年生の時に、全日本ジュニアで8位になり強化選手に。目標達成。すごい達成感。ようやくここまで来れたと思った。





『将来について考え出す』


強化選手にはなれたが、少し年上に町田樹さんや小塚崇彦さん、下の世代に羽生選手など、橋爪さんいわく「凄い選手達に挟まれて」いて、オリンピック出場等はとてもじゃないと感じていた。





それなら自分はどうするのか?スケート以外の将来を考え始めていた。

その結果、大学進学時にスケート入学ではなく、英語が話せることを活かした就職を念頭に、更に英語力を身につけられる学部を選択。

その際スケートも辞める選択も有ったが、大学4年生までやり遂げようと心に誓うと、自分にとってのスケートの存在意義を見出していくことになる。

やるからにはちゃんと目標も立てた。必ず最低限=全日本出場。見事自分の目標を達成しながら、学部の課題もこなし、大変だが充実した学生生活を送った。


就職活動については大学2年生の時に、商社に就職した優秀な先輩に憧れ同じ道を目指した。

就活中は、スケートの事をたくさん聞かれたし、自身も十分にアピールした。

1つの事を一生懸命やり遂げた継続力は評価され、地元の電子部品の商社に無事就職。

活動を振り返ってもらうと、「違う脳を使う感じ。スケートは感覚でしていた部分も多かったので、言語化が難しいと感じた。喋り方も伝え方も正解がないと感じ苦労した。筆記試験もそれまでやっていなかったので周りと差が出た」という。克服するために、試験の受け方から勉強した。


一生懸命1つの事をやり遂げた継続力、経験は評価され、苦労もしたが自信となり、社会人としてスタートする。

しかし、壁が待っていた。

就活ではスケートをアピールできたが、仕事になるとそれもなくなり頼れるものはなくなった。苦労を重ねた。学生時代とは全く違う環境がそこにはあった。


『社会人としての現在』

ちなみに、現在28歳、社会人6年目。これまで、商社営業→エンジニア→デジタルマーケティングという職を経験してきた。模索していたのだろう。その辺りを伺った。

「自分に合う働き方を調べていくうちに、プログラミング等IT系は効率化のツールであり魅力を感じた」

そこで1から「プログラミング」を勉強しサービスを作れるようになった。が、不十分だと感じた。人を集めないと意味がない。そこでたどり着いたのが、「デジタルマーケティング」。会社に就職をし、独学でも学んだ。

転機になったのは、自身のブログ運営。どうしたら面白いのか、どのようなターゲット層がいるのか分析するのが好きになり、現在多くの読者がいる。

ブログでどのような発信を行っているのか聞いてみたところ

「選手の凄さを伝えている。解説者は主にレジェンドがやっている。レジェンドと経験者の解説の視点は異なる。レジェンドの当たり前と、経験者の当たり前は違う。そこの差をブラックボックス化している。そうすると見ている人の楽しみも広がるし、経験者にとっても自分もスキルを活かせるという利点がある」

デジタルマーケティングを勉強したおかげで、スケートと自分の関係値が確立されていった。

SNS経由で仕事の幅も広がり、その経験を活かし、戦略をたてる会社に就職もした。

「自分がスケートをやっていた事が社会で活かされるのは、この上ない喜び」と満面の笑顔。

様々な職業を経験し、業務の視点が広がり、出来ることも広がる。応用できる視点も見つかった。


就職を控える後輩達にアドバイスはありますか?と伺ったところ、

「本当に勉強してって感じです(笑)

とにかく勉強は役に立つ。特に自分が感じているのは文章力。仕事は、資料を作るのもメールするのも大半は文章力。自らの考え、学んだことをどう文章で伝えるのかを学んでほしい」。


更に将来は、アスリートにとって有益な情報、引退してビジネスを学ぶのに役立つサポートにシフトしていきたいという。

最終的な夢は、「全アスリートを幸せにしたい」。

過去にスポーツで努力し苦労し結果も残してきたのに、社会に出てまた苦労して欲しくない。

現役中は、競技に集中していてその他の世界を知る機会が少ないため、社会に出てから差がでると考えている。そのギャップが課題だと感じている。

アスリートには、これまでをアドバンテージとして、社会でも自信を持って活躍してほしい。その為にも自分のようにスケートの経験を活かし、関連した仕事を生み出すことができる可能性があることも、後輩達に伝えていきたい。

充実した笑顔で話してくれた。






『後記』

曇りのない弾ける笑顔が印象的な橋爪さん。

選手時代に、全日本選手権で観戦させて頂いていたスケーターが立派な社会人となり、また後進の活躍も願っている姿に感動を覚えました。


選手時代から、比較的身近な目標をたて必ず実行する。社会人になってからは、自身に合う働き方を、転職や勉強を繰り返しながら見つけていく。

社会の壁にあたると、どうすれば乗り越えられるか、対応するかを考え、克服していく。

その過程は、フィギュアスケートを習得していく姿と通ずるものがあるのかもと感じました。

「全アスリートを幸せにしたい」その目標に向かって頑張ってください!

スケートファンとしても、セカンドキャリアで活躍する姿を応援出来ることは喜びです。


橋爪峻也さん、ありがとうございました!