アスリートとしての経験が、会社の代表となって生かされてる訳

更新日:5月2日





吉備カヨ(旧姓 白幡)さんがスケートを初めたのは小学 1 年生の時。


北海道在住でスケートに馴染みがある親戚に、自宅近くにあった現在の横浜銀行アイスリ ーナに連れられたことがきっかけだった。

「アイスホッケーをやりたい」と思ったそうだが、当時は女子が入れるチームはなかっ た。

そこで親御さんの勧めでスケート教室に入る。 ジャンプやスピンをするのは楽しかったが、アイスホッケーをしたかったという思いは残り、どこかでフィギュアスケートのエレガントさは自分とは異なると感じていたという。


ゲストプロフィール

名前:吉備 カヨ

現在の職業:株式会社ジョビア代表取締役社長

経歴:

  • 全日本選手権アイスダンス 第57回58回59回と連続 3位入賞

  • 1991年 NHK杯アイスダンス出場

  • 1993年 全日本選手権アイスダンス優勝

  • 1993年 プラハ世界選手権 出場

競技歴 20年





そんな中でも継続し、小学4年生の時から個人レッスンも始め、週に2〜3日の練習を続 けていたが、衝撃的な出来事が起きる。

小学6年生の頃だ。いつも通りリンクへ行くと、同じ歳でビールマンスピンをするとても 上手な選手がいた。

吉備さんは、「どうしてそんなに上手なのか」と本人に聞きに行ったという。すると、プ リンスホテルクラブで道家豊先生に習っているということがわかった。

もうその先生に習いに行くしかない! すぐに行動に移した。


ある日突然目の前に現れた選手にインスパイアされ行動に移す。


吉備さんのスケート人生 の1つ目のターニングポイントであり、その後の人生にも共通しているように見える。

その後、高校一年生から道家恵子先生にアイスダンスも習うようになり、小林正夫さんと カップルを結成。


小林さんが経験者ということもあり、大会に出場すると表彰台にも上がり、全日本選手権 にも出場。アイスダンス選手として歩み出した。



そして 2 度目のターニングポイントが訪れる。

1982 年に行われたコペンハーゲンでの世界選手権。


イギリスのジェーン・トービル/クリストファー・ディーンの演技を初めて観た。


当時、ソビエト連邦のスタイル抜群の美男美女が強豪で身近に感じることは少なかった が、女性のトービルは身長が 159cm、元々保険の外交員。ディーンは警察官で郊外出身の 庶民派だった。


その2人の演技に、「こんなアイスダンスがあるのか、素晴らしい!」と衝撃を受けた。


この種目をやりたいと強く思った瞬間だった。




そこからずっとトービル・ディーンがアイコンとなった。

朝起きてから、学校から帰っても、寝る前も、彼らの演技をテープが擦り切れる程見ては 「彼らのようになりたい」と練習に励んだ。

しかし高校 3 年の時、パートナーからの申し出により最初のカップルを解消した。 その後パートナーが見つからない時期が続く。

国内でアイスダンスの男子選手は 10 人弱だったという時代。次のパートナーが見つかる までに5年を要した。

1 人で練習した日々をどのようにモチベーションを保ったのか伺うと、あるエピソードを 話してくれた。

1984 年にオタワでの世界選手権を観に行った際、トービル・ディーンに彼らのマークを入 れた手編みの手袋をプレゼントした。


その時にもらったサインをいつも見ながら、 「絶対にもう 1 度アイスダンスをやりたい。全日本に戻りたい」と思っていたという。


憧れの存在は、吉備さんを強く支えてくれた。

そしてもう1つ、大きな存在があった。

コーチの道家恵子先生だ。

吉備さん以上に、パートナーが見つかることを心底願いながら指導をしてくれた。


そんな願いが通じ、アイスダンス未経験だった 7 歳年下の田中衆史さん(現・明治神宮外 苑コーチ)とカップルを結成し、1989 年全日本選手権でカムバックを果たす。

そのシーズンは、全日本フリー選手権で右足腓腹筋の肉離れの負傷をし、約 1 ヶ月半動け なかった。そこから 1 ヶ月半練習して全日本に出場した。



ノーミスで 3 位表彰台! 「ようやく戻って来られた」と心から嬉しく感慨深かったという。 1993 年の全日本では初優勝し、チェコ・プラハでの世界選手権に出場。


「凄かった。1 つ 1 つ観るものが新鮮。他の国際大会と違って、その国のお国事情、大陸 の事情の中でのアジアの位置づけも感じた。改めて海外のスポーツだな」と感じたところ もあったという。

トップクラスの選手のオーラはまったく違って見えた。

成績は 25 位。

帰国後、今後の人生を考えるタイミングが来た。

翌年にはリレハンメルオリンピックがあったが、日本の出場枠はなかったので目指すとす れば 98 年。

難しいと感じた。

それに何より、自分の中で「やりきった」と感じていた。更にパートナーの若さを考えた ら、他の選手と高みを目指して欲しい。

自身の引き際と感じ、コーチに告げた。 27 歳だった。

5年もの間1人で練習し乗り越え、世界最高の舞台を経験したからこそ、やりきった想い で引退を迎えられたのであろう。

引退後は、人材派遣業を営むお母様の会社に入社。2 年後に結婚した。



ところが、妊娠 37 週の時にお母様が末期がんだと判明する。


お母様の手術と出産が同日に重なった。


3つ目のターニングポイントを迎える。


そこから急遽会社の継承を視野に入れながら、初めての子育て。 会社にベビーベッドを置きながら仕事をした。


「人生で一番大変だった時期」と振り返る。


経営者にもなると、社員を守らなければならない。


「自分に出来るのか?」 大きなストレスとプレッシャーに襲われた。


選手時代の苦労とは異なった。


そんな中で、「幼い子供がいたから乗り超えられた」という。


子育て中は必然的に気持ちが切り替わる。それがよかったという。


更に周囲で支えてくれた人々の存在も大きかった。

経営者、主婦、母親と 3 足のわらじを履く生活が続く中、40 代になると更に大変なことに 直面した。

「線維筋痛症」。 脳の中の痛みのセンサーが働かず、常に痛みを伴う難病を患う。

ご主人と社長を交代して自身は会長職となり、約 4 年間の闘病生活を送った。


「頑張りすぎた」その言葉に深く納得する。

回復後会社に復帰したが、コロナ渦は人材派遣業にも打撃を生んだ。


更に、自社ビルのテナントの撤退も続く。

一見ピンチに見える状況だが、そこがまた吉備さんのターニングポイントになる。 「空いたテナントで何かをやりなさいということだな」と感じたという。

人材派遣会社には女性の登録者が多く、以前からテクノロジーの進化とともに昭和世代の スタッフが仕事を失うことを予測する中で、彼女らが活躍できる新しい環境を創りたいと 考えていた。

そこで、空いたテナントの 1 階でカフェと売店(3 次産業)、2 階で料理やスウィーツの 加工(2 次産業)、3 階で水耕栽培農場(1次産業)を構え、ビル全体で 6 次産業を始め

る計画を立てた。

コロナ渦で仕事を失った人たちに、仕事も提供できる。 すぐに実行し、現在、メディアでも多数取り上げられ注目を集めている「サステナスプロ ジェクト」

(https://www.sustainus-project.com/)を誕生させた。





吉備さんの行動力とパワーが4つ目のターニングポイントを生んだ。小学生時代の 1 つ目 のターニングポイントを彷彿とさせる。

今後の目標は、「昭和女子を活かせる仕事」だという。

「人生 100 年時代。50〜70 代も働けるような環境を作っていくことで社会の接点が増え ていったらいい。考えていくことが楽しいし、そんな人が1人くらいいてもいい」と穏や かな笑みをたたえながら話してくれた。

様々な困難を乗り越えられたのは、親御さんから受け継いだ会社であり、絶対に存続させ なければという強い思いが根底にあるという。

人材派遣業の為、仕事を探している人達に仕事を提供しなければならない。責任感と使命 感。困った人たちを助けるのが会社の遺伝子だと話す。

人材派遣業を経営する吉備さんから、後進のセカンドキャリアについてアドバイスをいた だいた。

履歴書やエントリーシートには「特技、趣味」欄がある。まずそこが強み。

スケートは、学校とは異なる環境で行っていることであり、1つのことを 10 年 20 年と見 続けてきている。

その間、環境も指導者も変わったかもしれないし、様々な大人のあり方、変化も見ている と思う。

それだけの変遷を見てきたことは大きな財産。

経験してきたことを思い出し、分析し活かしてほしいし、若くして一つのことを何年も継 続してきたことを誇りに思ってほしい。

また、社会で働く中で多少大変なことがあっても、事前にそれらをスケートで経験してい

るかもしれない。人生に既にキャリアがある。それも強み。

もう一つ、先輩として選手にもアドバイスをいただいた。

「コーチは、選手をどうにかして生かしたいという思いが必ずある。それを信じてやって みること」

更にアイスダンスの場合、「まずパートナーが絶対に必要。一緒にやってくれていること に対し、そのご家族も含めて感謝の気持ちを。挨拶 1 つにもリスペクトの気持ちを込めら れているか」

このアドバイスは、今後社会に出てからも生かされるであろう。




〜後記〜

幼少期にアイスホッケーをしたかったという話に驚いてしまったほど、エレガントで上品 な吉備さん。氷上で培われた美しい佇まいはそのままに、今後の事業展開や夢を次々と語 る姿は、スケート後の人生でもとても輝いていらっしゃいました。 アイスダンスに必要な相手を慮る力は、社員や仕事を探している登録者に向けられ、 人材派遣業経営者の視点からのアドバイスは、後進のセカンドキャリアでの幸せを祈る気 持ちが感じられました。 困った方を助ける遺伝子は会社だけではなく、吉備さんご自身にも受け継がれていると感 じます。6 次産業のご発展を楽しみにしています!ありがとうございました!